中心都市である長岡市を中心に、機械産業や製造業が発達しているのが中越エリアの特徴です。1880年代の石油採掘を契機に発展してきた機械産業は、現在ではさまざまな分野に細分化され、近年では特に精密機械分野において、独自の技術と国内、海外で高いシェアを誇る企業が多数現れています。また米どころ新潟の中心を成すエリアだけに、米を原材料とする米菓、清酒などの全国に名を知られた食品加工業者がしのぎを削るエリアでもあります。
さらに、長岡市が古くから鉄道と河川を備えていたことを背景に、卸売業などの商業活動も活発に行われています。一方、日本海に面する柏崎市には、首都圏に電力を供給する東京電力の柏崎刈羽原子力発電所があり、国・県の出先機関も数多く設置されています。
2004年の中越地震、2007年の中越沖地震と、2度の震災により大きな被害を受けましたが、その影響により大手自動車会社の生産ラインに大きな影響が出るなど、中越エリアが日本の産業のなかで担っている役割の大きさを示す結果となりました。現在は、一部に地震の爪あとを残しながらも復興を果たし、その役割の重要性は日に日に増しています。
古くは上杉謙信の旗揚げの地として知られ、越後長岡藩、高田藩らが支配してきたこの地域は、過去多数の著名人を輩出しています。近年では、戊辰戦争の戦災によって窮状に陥った長岡藩に復興の道筋をつけた小林虎三郎による「米百俵の精神」が、小泉純一郎氏の首相在任時に演説の中で引用されたことにより大きな注目を集めました。
小林虎三郎は、長岡藩の支藩であった三根山藩から寄贈された米百俵を売却し、その売却益を書籍などの購入にあてるなどして学校を開設。教育による藩の復興を指揮した人物として知られています。米の分配を望む藩士に向けて「食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱え、藩士の子弟だけで無く農民や町民の子供にも広く門戸を開放しました。その学校は、現在の長岡市立坂之上小学校のルーツとなっています。
復興を果たした中越地方は、その後、第2次世界大戦の空襲による壊滅的な被害を受けながらも再び立ち直り、機械産業、製造業の集積地として発展、現在の姿へと至っています。
日本有数の豪雪地帯として知られ、過去に記録的な豪雪を何度も経験している中越エリア。長岡市では道路に消雪パイプを設置し、国道・県道・市道や公共施設の敷地内など、広い範囲で散水消雪を行える設備を整えています。また、夏に行われる花火大会は全国的にも有名で、毎年数十万人にも及ぶ観光客が訪れる一大イベントとなっています。
地理的には、上越新幹線で東京から約80分、関越自動車道で約3時間の長岡市を中心に、新潟県の中では関東地方との結びつきが強い地域となっており、そのアクセスの良さから、企業の工場建設も進んでいます。